エイヤ=リーサ・アハティラ展(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)

またMIMOCAに行ってきました。日帰り。
下調べができないままで、あまりまわれなかった一日でした。
途中でカメラのバッテリーも切れてしまったし。
でも一番の目的だったエイヤ=リーサ・アハティラ展に満足できたので、それだけで十分良かったのかも。


映像作品が2点と写真が3点。
ひとつの視点からのものもあったけれど、2つ、もしくは4つのというように、複数の視点で構成されている作品がほとんど。
アハティラのことをよく知らないので、展覧会の解説文を一部引用させてもらう。

アハティラは自らの作品を「ヒューマンドラマ」と称します。
人間関係に横たわる愛や嫉妬、怒り、和解といった強烈な感情やセクシュアリティ、コミュニケーションの難しさ、アイデンティティなどの諸問題を作品中に見出すことができます。
アハティラが映像や写真を通じてみせる特徴でもある物語性は、冗長な期間から得られたリサーチやアーティスト自身に起こった経験や記憶に基づいて作られた虚構の世界です。


「ヒューマンドラマ」。
特にそれが際立っていたのが、2005年ベネチア・ビエンナーレに出品され賞賛されたというビデオ・インスタレーション作品《祈りのとき The Hour of Prayer》(2005)。
4面のスクリーンに北欧の美しい景色や滞在先の西アフリカを映し、ナレーターを務めるアハティラ本人も画面にも登場する。
語られていた物語は愛犬の死。
私の頭に浮かんだのは、最近原作を読んだり映画作品を観た「存在の耐えられない軽さ」だった。
アハティラのナレーションにテレザの心情が重なっていくような…というのはほんとに私の私的な見方に過ぎないのだけれど、足のガンといった共通の病因などに驚きつつ、作品世界に惹き込まれていった。
(物語は経験や記憶に基づくフィクションであるようなので、「存在の耐えられない軽さ」を参照しているのではないかと勝手な憶測をしてみる)
つぎつぎに移っていく映像のテンポがいいのかもしれない。
もし感情移入を誘うような長映しをしてしまったら、この場合観る側をしらけさせてしまったのかも。
このテンポは他作品にも顕著なようで、You Tubeで見付けた映像を貼付けておく。

Consolation Service (1999) (作品の一部分)


今展覧会の《祈りのとき The Hour of Prayer》に話は戻るけれど、愛犬の死という個人的でありふれた出来事を、ひとつの作品に昇華させている圧倒的な力に唸らせてしまった。
私は全然陳腐に感じられなかった。2回通して観たのだったけど、帰宅してからまた観たいと思わせられた。
それがなんなのか、私的な出来事を分かりやすく全面に押し出してくるアートって、それでいいんだか良くないんだか。
くやしい後味がする作品だった。(それほど印象強いということ)
そもそもテレビドラマとどこが違うのか答えに窮してしまうけれど、でも確実にアートの領域なんだと思う。


作品最後でアハティラが、教会の鐘の音に合わせて吠える犬の声が、彼らの祈りなんだと語るシーンがとても好きだ。