藤本荘介氏の講演会

藤本荘介さんの講演会に行ってきました。
先日訪れた「TAKENAKAデザイン展 大阪2006 御堂筋から」にともなう企画のようです。
http://d.hatena.ne.jp/whirligig/20060708
それにしてもなぜ藤本さんを呼ばれたんでしょうか?
自前で設計された建築物にも素晴らしいものがあるのだから、
この展覧会では竹中工務店設計部の方で講演会をされるのが一番だと思うのですが。
《京都暁星高等学校》のエコロジーに配慮された設計施工の話なんて面白そうだったけど。
もちろん藤本荘介さんのお話がきける機会を与えてもらったことには感謝しています。


講演で受けた印象はというと、若い建築家の方(といっても私より年上なんだけど)のせいか、
やりたいことのエネルギーがあちこちに飛び交っていて、
お話をメモにとりながらも、どうまとめればよいのかとまどってしまうほどでした。
自由でスリリングな発想の着眼点がすごく面白かったんですけど、
それが私のメモにうまく残せたかどうか…。
一応講演の内容を書きとめておきます。

  • 《N-house》

柱とスラブによってトラスを構成。
コルビュジェのドミノは床と柱で明確に構成されており、
建築の原型を提示しているが、
N-houseではこの構成がなく、スラブしかない。
これは別の原型を提示できているのではないか?

  • 《Atelier/house in Hokkaido》

「巣ではなく洞窟のような」
巣は機能主義。洞窟は機能的ではないが豊かな場所になりえるのではないか?
バーナード・ルドフスキーの『建築家なしの建築』から発想を得たことで、
意図的でないものを意図的にデザインする試みを行いたかった。
この建築は藤本氏のお兄さんのためのアトリエらしく、
進行具合もスローペースになっていて、
現在、実施設計が終わったところだそう。

  • 《final wooden house》

「自然と人工の間」「究極の木造建築」
http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/sk/magazine/sk2006/sk03/work/15.html
くまもとアートポリス設計競技でコンペを勝ち取った作品。
30平方メートルの小規模の家だが予算が400万円。
ただし施主が林業組合ということで木材は全て支給される。
そのため可能な限り木材を使用する設計を考えた。
それで出たのが35センチ角の木材を積み上げてくという案だった。
もともと木材は万能で、構造体、外壁、内壁など様々な機能を持ち合わせている。
現在施行中で心配なのが雨漏りしないかということ。
これはコンペの審査でも問題にされたことだったが、
審査員だった伊東豊雄さんが
「雨漏りしそうな建物が雨漏りするのはいいんじゃないか」という説を持ち出してきて、
それでその場を納得させてしまったというエピソードがあるそう。
(藤本さんって、所員だったわけじゃないのにすごく伊東氏に推してもらってますよね。
それだけ伊東氏が認める存在なんですね。)

  • 《T house》

「距離感の建築」
人が移動することによって多様な見え方が生まれる。
施主の趣味で現代アートを置いているのだが、
美術館で展示しているのとは違い、壁から垣間みられるような違う見え方も生まれている。
以前から日本の庭の空間性に興味を持っていて、
例えば慈照寺銀閣の庭を歩いているときの感覚を建築にしたいと思っている。
またそれぞれの部屋が閉じずにつながっているため、互いの部屋の影響を受ける。
家全体が太陽の光によって脈動するような感じになる。

  • 《安中環境アートフォーラム》

T houseと同時期の設計。
ミースの《ナショナル・ギャラリー》を楽譜に例えると、
五線のみの均質の時間空間を形成しているように感じ、
この上をゆく建築は自分にはつくれないんじゃないかと思い悩んだ時期があった。
しかし武満徹氏の論で、
日本の音は西洋のものと比べると”音の中に固有の時間がある”というのを読み、
五線のない音符のみの時間空間もつくれるんじゃないかと考えた。
それはミースにかわる体系で、音と音との関係でのみ時間が流れるような空間。
その発想から生まれたプラン。

  • 《K house》

「関係性の庭 ジャングルの幾何学
私が先日訪れたKPOの「ニュージオメトリー展」の建築作品。
http://d.hatena.ne.jp/whirligig/20060718#1153227498
五十嵐太郎氏のニュージオメトリー論に応える形で制作した。
1m×2mの発砲スチロールのパーツを使った高さ4mの架空の住宅。
制作日数は2日間。
複雑な空間のからみ合いが生まれている。
現在藤本さんの建築の中で唯一パブリックに訪れることができるところ。

  • 《伊達の援護寮》

「"ない"という関係性」
20人ほどの精神患者のための病棟。
どのようにして意図的でない自然のプロセスでデザインができるか?
関係性がないけれど秩序だっている集落のような場所をプランニングした。
余りのスペースができているが、そこにこそ空間的な豊かさがあるんじゃないか?

  • (正式名称書き留められず。子供のための精神病棟)

「"ない"ということに形を与える」
中心という概念が無い。もしくは無限にある。
状況によって中心が移動する。
ランダムなプランだが、ランダムなゆえに精密に設計される必要がある。
しかしランダムゆえに意図的に設計されたように感じられない。
それは完璧なプランでありながらランダムにしかみえないということで、
先に挙げた譜面の概念の第一歩ではないかと考えている。


質疑応答

  • 建築とは人間にとってどういうものであるべきか?

→こうあるべきと考えることによって、可能性を終わりにしたくない。
→世界の可能性を切り開いていくものだとは考えている。

  • 外部空間の設計についてどう考えているのか?

→内部空間と外部空間という意識がない。
 庭・森・都市には内と外がないと考えているが、それにたどりつきたい。

  • ランダムな設計の完成はどこで判断しているのか?

→設計者が良しとする決断が全てではないのか?
 その人のオリジナルの決断をどこまで普遍化できるかということが重要になってくる。
 100%謙虚で100%傲慢な態度で決断。


あまり脈絡のないメモ書きになってしまいましたが、
言葉の断片に藤本荘介氏を知るヒントを見つけだしてもらえたら嬉しいです。