「関西の三奇人ふたたび 安藤忠雄×毛綱モン太(遺影)×渡辺豊和」


渡辺豊和著『文象先生のころ 毛綱モンちゃんのころ』の出版記念講演会。

会場は一心寺・日想殿。入り口階段前。
でも国道53号線側の敷地外からみた方がいい建物だと感じる。

講演会は休憩を挟み、

  1. 渡辺氏によるRIA・毛綱モン太の建築解説
  2. 渡辺氏と安藤氏による対談
  3. 関西の三奇人関係者の方からのコメント

といった構成で、17時から20時半迄行われた。


以下気になったことをメモ。

1.渡辺氏によるRIA・毛綱モン太の建築解説
スライドを使って解説された。

  • RIA

渡辺氏は1964年にRIAに入所されるのだが、
その入所するきっかけとなった2作品を挙げられた。

    • 《ラムダーハウス》(1960)

設計担当は植田一豊氏。徹底したゾーンプランを用いている。
RIAのゾーンプランは西洋のモダニズムを正しく継承していたのではないかという渡辺観。
日本では前川や坂倉が評価されているが、山口文象こそが真のモダニズムを持ち帰ったのではないか。


RIAは多くの住宅を設計しており、常に機能重視の現実路線だった。
それに対して篠原一男の《から笠の家》《白の家》の芸術性にRIAも少なからず衝撃を受けた。
これは著作でも書かれているけれど、どれほど篠原一男氏の登場が大きかったのか、
実感として読める箇所で面白かった。

    • 《新制作座文化センター》(1963)

渡辺氏が「日本モダニズムの最高傑作」と言い切る作品。
「きたな仕上げ」といわれる荒々しいコンクリート仕上げの壁は土俗的・土着的。
庶民の美をやるのが本来のモダニズムであり、再評価されるべきもの。

  • 毛綱モン太(毅曠)

渡辺氏は毛綱氏と知り合い、2人で「反近代」=ポストモダニズムの建築の実現を目指す。
世間で認知されるポストモダニズムとは異なるスタンスをとっていた。
機能ではなくて観念。でも古典じゃない。(世間は古典回帰に向かっていくが)
近代をいかにこわしていくかがテーマだった。


75年、2人の作品はイギリスの建築雑誌『aaq』に紹介される。
表紙は毛綱氏の《反住器》が飾っていた。
この解説のあとの対談で、
安藤氏がNYでヴェンチューリに会ったときに
毛綱の作品はどこでみられるのか尋ねられたエピソードを語っていた。


2.渡辺氏と安藤氏による対談


(椅子の位置がかわってしまったけど、ここでお二人が対談。
背景に3枚並んだ現代絵画の眺めが気持ち良い。)


主に3人が知り合った70年代の思い出を話されていた。
講演の主旨とは離れるけれど、
私は安藤氏が60・70年代模索していた時期について、
しみじみ語られていたのを印象深く感じた。
「建築の話をする人を持てなかった」なか、
学卒かどうかなど関係なく、安藤氏と交流を持った渡辺氏の存在は大きかったんだろうな。


これも安藤氏の建築観。
日本の1960~70年代はなかなか面白かったが、
80年代になって経済が「建築」という商品を見つけ出した結果、
思い入れを込めた作品が少なくなってきた。
社会と調整の上手い人が生き残り、哲学がなくなっている。
自分を表現するには小さいものでやっていかなくてはならないと。


この観点を踏まえてみて、だからこそ山口文象や毛綱モン太なんだろうと感じる。
特に毛綱氏の類いまれな独自性はもっと注目されてもいいのかもしれない。
形態や手法というよりも、その精神性を。


3,関西の三奇人関係者の方からのコメント
『文象先生のころ 毛綱モンちゃんのころ』に登場する方が次々と語られ、
私になりに紙上で捉えていた世界に、ふくらみが与えられたような感じ。


渡辺氏や毛綱氏の後輩にあたる建築家平山明義氏は、
神戸で渡辺氏を中心とした勉強会が行われていたことを話された。
そこには大島哲蔵氏も参加されていて、そのあとの大阪や名古屋の活動に続いたらしい。
私は大島哲蔵氏の『SQUAttER(スクウォッター)建築×本×アート』の通読を諦めていたことを思い出す。
http://d.hatena.ne.jp/syn_chron/20060601
久しぶりに手にとってみよう。少しは理解が深まっているだろうか。
平山氏による最後の「地方であっても小さいながらもムーブメントが起こせるのではないか?」という提言が胸を刺す。


渡辺豊和氏のご子息、菊眞氏は「京都げのむ」という雑誌の活動を話されていた。
京都のありのままの姿を捉えた研究の成果が記事になっているらしい。
例として公共トイレのプランのサンプルについてを挙げられていたのが面白かった。
他の研究ものぞいてみたい。


「都市住宅」の編集長だった植田実氏は、なぜ「関西の三奇人」と命名したのかの回答を。
渡辺氏、毛綱氏は当然のことと思われるが、なぜそれに安藤氏が入っているのか?
安藤氏以前の建築家は毎回手法を変えて作品を発表してきたが、
安藤氏はずっとコンクリートの打ち放しのスタイルを貫き続け、それでいてコピーがない。
そこのところが奇人なんだと。
多少異なるものもつくられているけれど、確かにずっとコンクリートを使い続け、
常に瑞々しさをそなえている安藤建築は、いつまでも飽きることがない。
いつも新鮮な気持ちで向かい合うことができる。


以上、覚えておきたかったことを記録。
実際の講演ではもっとたくさんの熱い言葉や思いが交わされていて、
渡辺氏を中心とした逞しい時代があったこと、それもここ関西で繰り広げられていたことを知った。
安藤忠雄さんが講演ということで手にした『文象先生のころ 毛綱モンちゃんのころ』だったけど、
まだまだ私の知らない建築の世界があったことを教えられた。
ほんとは山口文象氏の章だけを依頼されていたのに、
渡辺氏が毛綱毅曠氏の章を加えてしまったそうで、でもこの毛綱さんが面白く、
モダニズムと反モダニズム、2つの価値観が合わさっている構成がいい。
この出版はアセテートというところ。
実は私のアルマジロ人間のコメントをリンクしてくださったid:editorKさんもその編集の方だと知る。
なんか本のニワトリとかオレンジの表紙とか見覚えあった気がしてたけど。
世の中に知られていない成果を発表するというのが主旨だそうで、
こういった団体が関西で活動されているのが心強い。

↓編集出版組織体・アセテートのHP
http://www.acetate-ed.net/