「若林奮ーVALLEYS」展

上記の横須賀美術館で開催中だった企画展。
訪れたついでに…という感覚で入ってしまったのだけど、時間や空間を感じさせる彫刻作品とスケッチにだんだん夢中になっていった。
でも解釈はむずかしい。作家の方が表現されたかったことがどこまで理解できているのか。
ある作品の説明書きを一部引用する。

距離は時間をともなう。時間に対して自分は後退しなければならない。或いは自分に関連する時間の前後を変えなければならない。作品が内在している距離は、それ自体不連続な時間を表明している。それは自分の知り得る時間である。しかし、作品の未知の側で、限界に接する時間は基準の手がかりになるかもしれない。

私がこれを読んだときに思い浮かんだのが、なぜかカジヒデキさんのこのアルバム。
HIDEKI KAJI RARE TRACKS '96-'04

この中にescalator recordsの仲真史さんがカジさんの思い出話を語るおしゃべりが収録されていて、こんなエピソードを話されている。

渋谷の街でカジ君が走ってて、猛烈に走っていて、なにかやってるのかなって思って、カジ君って呼んだら、「はあ」って。
「カジ君どうした走って。」
「やあ、なんかさ走んないとさ、なんかあそこまでに走ると10秒先に行けるわけじゃん。
10秒先に行くとなにかあの、出会いとか新しいこととか、10秒先のことが見れないのがやなんだよ。」って。

ふざけた話ではあるのだけど、でも真に迫ってもいるような気がしていた。
若林さんが表現したかったことに、当たらずも遠からずだと思うのだけど。
あとはジャコメッティの一連の作品とか、中西信洋さんのレイヤー写真だとか。
彫刻家特有の意識なのかな。


若林奮さんの作品は横須賀美術館の前庭、海の広場にも設置されている。
図録の末尾にはその設置までの経緯のドキュメントが収録されていて、その文章を読んでいるだけでじんとしてくる。


海側を向いたときのVALLEYS。設計当時は目前のホテルが建つ予定は分からなかったそう。
もしかしたら空と海だけが広がっていたのかもしれません。



山側を向いたところ。このときはこちらの方が作品の陰影が感じられた。